立ち止まる勇気と倫理性|まちづくり&起業で社会福祉士が感じた違和感

こんにちは、森山です。
今回の記事は

まちづくりで稼ぐためにどうしたらいいの?

誰かの役に立つ仕事をしたいけど、それでは稼げなくて苦労しています
そう感じている方にお伝えしたい内容となっています。

今回は
倫理性と向き合うこと
についてお伝えしたいと思うんですね。
まちづくりやソーシャルワーク、対人援助職の学びや働き方の支援、若者の挑戦を応援する場づくりなどの現場で、私は繰り返し「胃がモヤモヤする」光景に出会ってきました。
「金が稼げればいいや」「結果が出ればOK」
そう言い切る人たち。
いろんなことを割り切って考えて、合理的で効率的に見えるこの考え方。
しかし、その背後には深刻な問題が潜んでいるように思うんですね。
Contents
思考停止状態になっていませんか?

「結果さえ出れば手段は問わない」という思考は、実は思考停止の一形態のように思います。
- 目の前にいる人の表情を見ない。
- その人が置かれている状況に思いを馳せない。
- 数字や成果だけを追い求め、プロセスにおける倫理性を置き去りにする。
これは、まさに「考えることをやめた」状態と言えるのではないでしょうか?
ソーシャルワークの実践において、私たちが大切にすべきは「人間の尊厳」です。
まちづくりにおいても同様に、地域に暮らす一人ひとりの顔が見えているか、その声に耳を傾けているか。
行政の人には、これが問われるでしょうし、まちづくりに関わるからには理解しておかないといけないこともあると思うんです。
そんな中で、結果至上主義に陥ると、この根本的な視点が失われてしまうように思います。
「目の前の人」を見ない危険性

身近な事例で、「誰かの役に立つ」「それをビジネスで成し得るんだ」というような社会起業の現場でも、「結果至上主義」が起こす問題は顕著になっているように思います。
- 「社会課題を解決する」という大義名分のもと、実際には目の前の当事者を道具のように扱ってしまうケース。
- 数値目標達成のために、支援対象者の本当のニーズを無視してしまうケース。
こうした事例を、私は数え切れないほど目にしてきました。
行政とコンサルの仕事の進め方について、間近で見ていて「マジか…」と思うことがたくさんあります。
結果として、事業は「実施しました」「成功しました」という報告がされ流こともありますが、そこに費やされたお金や労力のことを思うと、胃がモヤモヤしてくることがあります。
倫理の教科書を購入すると、そこは学びの宝箱

先日、「政治経済」「倫理」「公共」の3つの高校教科書をAmazonで購入しました。
高校の倫理教科書では、倫理を「人間としてより良く生きるための行動規範や価値判断の基準を探究する学問」として位置づけています。
単なる道徳的ルールの羅列ではありません。
古代ギリシャの哲人たちから現代の思想家まで、人類が積み重ねてきた「善く生きるとは何か」という問いへの多様な応答を学ぶことができます。
特に、私は福祉職としての実践も長いので、個人の幸福と社会の調和をどう両立させるか、正義とは何か、人間の尊厳をどう守るかといった普遍的なテーマについては、特に関心を持って読みました。
倫理性とは何か
では、私たちが守るべき「倫理性」とは何でしょうか。
それは単なる道徳や綺麗事ではありません。
倫理性とは、持続可能な関係性を築くための土台なのではないか?
そんなふうに思うんです。
目の前の人を大切にすること。
その人の状況を丁寧に理解しようとすること。
短期的な成果よりも、長期的な信頼関係を優先すること。
これらは一見、遠回りに見えるかもしれません。
しかし、実はこれこそが最も確実な「本当の意味での成功」への道なのではないの?
そんなことを思うんです。
倫理性を失った先に待つもの

私は、倫理性を欠いた活動は、必ず破綻すると思っています。
なぜなら、目の前の結果にのみとらわれて、その背景にある歴史や文化、人との関係、環境や社会について思考停止状態のまま行動し、長期的に繁栄を遂げた事例なんて見たことがないからです。
一喜一憂した先の未来は本当に豊かですか?
「稼げた」とか「評価された」ということに一喜一憂している人。
もしくは「与えられた仕事だからやらなきゃいけない」といって、何も考えず言われたことをこなしている人。
そこでちょっと、立ち止まって考えたり、そもそも「仕事って何」「まちづくりって何」みたいなことを、学び直すことが大事なのではないかと思うんです。
実際にまちづくりやソーシャルワークの実践現場で
まちづくりなどの文脈を見ていて、一時的に金銭的な成果を上げたとしても、強烈な分断を産んで、信頼を失えば持続可能性はありません。
コーチングやソーシャルワークを展開していて、クライエントを道具や手段として扱えばどうなるか?
先日、地域で繋がっている福祉の大先輩とお話をしていて思い出したことがあります。
私が事業所にいた数年前に、「営業」ということで回ってきた人がいました。
制度・法律を全く理解しないで、倫理性のかけらもないような営業トークに、ただただ辟易としていました。
私は福祉業界に身を置くこともちょっと嫌になってきて、地域とかまちづくりとかに関わるようになったのですが、そこでもいろんな人と出会って、胃がモヤモヤすることがあります。
私たちにできること

では、どうすればいいのか。
答えは出ません。
ただ、今の自分たちにできるシンプルなこととして立ち止まって考え、相手の話をよく聞くことは大事なのではないかと思うんです。
- 忙しい日々の中で、目の前の人の顔を見る時間を作る。
- 「この方法は本当に正しいのか?」と自問する習慣を持つ。
- 数字や成果だけでなく、プロセスにおける倫理性を常に確認する。
こうした小さな実践の積み重ねが、思考停止を防ぎます。
私自身、多忙な現場で働く中で、何度も「効率」という名の思考停止に陥りかけました。
しかし、そのたびに自分に問いかけてきました。
「今、目の前にいる人を本当に見ているか?」「この活動は誰のためのものか?」
こうした問いが、私を倫理的な実践へと引き戻してくれたのです。
倫理性は「強さ」である

コスパ・タイパが優先されがちな時代に、立ち止まって考えるのは「アホなこと」と言われてしまうかもしれません。
ただそれでも、倫理性についてそれぞれの立場で向き合って、考えることの重要性を言葉にしたいと思って、ブログ記事を書きました。
私も、倫理について語れるほどの専門性を持っているかと言われると、かなり怪しい。
だから、間違いを犯してしまうことがあるかもしれない。
そんな時は「止めてほしい」し「対話」をしたいと思うんdせう。
目先の利益に飛びつくのは簡単
「あ、これよさそう」「え、マジで!」といって、目先の利益に飛びつくのは簡単です。
数字だけを追いかけるのも楽な道なのかもしれません。
しかし、倫理性を保ちながら活動を続けることは、強い意志と勇気を必要とすることも…。
それは時に孤独な戦いかもしれませんが、その先にこそ、本当の意味での持続可能な社会変革があると思う。
これは、まちづくりにちょっと挫折して、まずは身近なところからと思って場づくりをして、試行錯誤していて本当にそう思います。
家族や仲間との関係って「数値化できること」など限られていて、数値や表面上の成果のみに気を取られていて「豊かさ」「優しさ」が育まれるとは思わない。
まちづくり、ソーシャルワーク、社会起業。
どの分野においても、私たちは常に問い続けなければなりません。
「この活動において見過ごしている倫理はないか?」「目の前の人を大切にしているか?」
この問いを持ち続けることが、思考停止に陥らないための最大の防御策なのではないでしょうか?

